みるぼうずの主張

ニワカでも『好き』を大切に。情熱の度合いは人それぞれでいい。

miteirubouzu114

はじめまして。みるぼうずと申します。

ブログ初心者の一番最初の記事にアクセスしていただきありがとうございます。

さっそくですが今『好き』なものはありますか?

私は現在、鬼滅の刃、ダンダダン、忘却バッテリー、おかえり水平線などのアニメや漫画にハマっています。

また、よく聴く音楽は米津玄師やVaundy、昭和の名曲も発掘しています。

私は比較的たくさんのことに興味を持ってきましたが、

そのほとんどは身になる前に飽きてしまいました。

私はスポーツ(というより体育)が嫌いな子どもだったので、

熱中していたことと言えばアニメやゲーム、音楽でした。

ポケモン、遊戯王、スマブラ、ボカロ、モー娘。……

これらに対して、当時の私はたしかに情熱を傾けて楽しんでいましたが、

それらの情熱は時間とともに冷めていき、

別の新しい何かに目移りしていく、を繰り返してきました。

学生の若いうちはそんなものだろうと思っていましたが、

大学を卒業して学生という身分を失ったとき、気づいてしまいました。

自分は今まで、本気で何かを好きになったことがない、と。

今まで好きだったものは一過性のもので、

ある程度美味しい部分を味わえたら満足していました。

表層の簡単に摂取できる部分だけを消費して、奥に残る深みを味わう前に飽きて捨てる。

私はいつも「ニワカ」どまりでした。

ポケモンはストーリーをクリアしたら終了。図鑑は完成させないし、通信バトルで勝つための育成もしない。

流行りの歌もCDは滅多と買わなかったし、ましてやライブに行くなんてこともない。

ボカロPに憧れてボーカロイドのソフトを買ったときも、

結局長続きせず、消費者という楽な方に流れていきました。

テレビで10代の若い子が『好き』を突き進んでいった結果、大人顔負けの知識や行動力を披露しているのを見て、

「羨ましいなあ」

といつも思っていましたし、今でも思います。

子どものころに一つのことに熱中できることは才能です。

その『好き』が仕事になっていくかもしれないし、プロのスポーツ選手やアーティストに成長させてくれるかもしれない。

そうでなくても、生きていくうえで支えになってくれる。

『好き』で自分を動かすって実はスゴイこと

そう、30を過ぎた私は思います。

一つのことに大きな熱意を向けられる人たちに比べて、

私の今までの人生は、なんとなく過ぎる時間の中で、

暇つぶし程度に楽しいものを消費してきただけだと思っていました。

でも、あるとき気づいたんです。

ポケモンを厳選したり、ボカロ曲を作ったり、アーティストのライブに行ったり……

『好き』を突き進んで奥深くまで入りこまないと熱中したとはいえない?

グッズをたくさん買ってライブに何度も足を運ばないと好きだといえない?

私は長い間、どのコンテンツに触れてもこのレベルに到達しない自分のことを、

なんとなく好きにはなるけど、

熱心なファンの人ほど熱中できない中途半端な存在だと思ってきました。

実際、大きな熱量を持った人たちからはニワカだと鼻で笑われるかもしれません。

でも、

ポケモンは今でも新作ゲームやグッズの情報は追い続けているし、

アニメは毎クール何本か必ず見て、

鬼滅のように原作やグッズを買い、映画を見に行くくらいハマるものもある。

米津玄師はライブには行かないけど、ハチ時代から最新曲まで聴き続けてCDも買っている。

これってニワカだとしても、ずっと『好き』でいつづけているってことです。

このくらいでは本気の『好き』とは言えないかもしれないけど、

私の意思で自分を動かして、『好き』を楽しんでいる。

これは紛れもない事実。

一年、半年、もしかしたらもっと短い時間で『好き』が終わってしまったとしても、

そのときを楽しめていたなら『好き』だったことに変わりはない。

映画を見に行くだけ、漫画を読むだけ、歌を聴くだけ……

楽な部分だけを消費している自分をニワカだと思っても、卑下しなくていい。

短い時間ですぐ鎮火したものも、

いつか再燃して大きく燃え上がることもある。

いろいろなものに目移りしたとしても、

そのいろいろなものが、そのときの生きがいになる。

一つの何かに長く深く熱中できなくても、人生は豊かにできるから、

たくさんのニワカな『好き』を繋いで楽しく生きていこう!

ここまで読んでくださった方、駄文失礼いたしました。

そして、ありがとうございました。

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